あさのよみもの

スキマ時間にサクッと読めるChromebookネタなど。元々は「自閉症スペクトラムと性別違和」「LGBTとフェミニズム」の話をするとこでした

医療も福祉も、ひきこもらせる

【よければ支援お願いします→ほしい物リスト

 前回の記事で「ひきこもりは社会的な困難を抱えているのだから『障害者』だと定義すべきだ」とお話しました。
 確かにそれによって経済的な不安が多少は和らぎ、医療や福祉の面からサポートを受けられる機会は得られます。

 しかしながら、それだけではひきこもり当事者の困難は解決されません。
 むしろ場合によっては状態が悪化してしまう可能性もあるのが、今の障害者支援の枠組みです。

 

 


「就労支援」がひきこもらせる

 都市部と地方でも格差があるかと思いますが、支援の場では基本的に「就労すること」か「施設に入ること」がゴールとされます。
 「ひとりひとりが生き生きとした生活を」とか、「地域で自立」などとだいたいは言いますが、実際のところは「働け」です。
 
 また、支援者によっては「働きたくても働けない障害者と、本来働けるはずのひきこもりは別モノだ」という認識を持っている方もいるかもしれません。
 障害の重さと生きづらさは相関しないことを理解していない支援者に当たってしまった場合、こちらは支援を受けることを苦痛に感じるでしょう。
 「会社が無理でも就労支援事業所(いわゆる作業所)で働けるだろう」と、直球でも遠回しでも言われることが多くなるかと思います。


障害者になっても、僕らには居場所はない

 しかし、僕らが求めているのはそんなものじゃありません。
 必要なのは、「働けない人間は能無しだ」という無言の圧力に怯える必要のない場所です。

 

 就労支援といっても、現状だとミスマッチが起こっているので馴染むのは難しいでしょう。
 「他の利用者よりも障害が軽いから」「この人は頭がいいから」という理由から、就労支援の事業所スタッフから他の利用者のケア役を振られてしまうこともありますし。
 それならやっぱりひきこもりだし、外に出ようが働こうがひきこもりです。

 就労を望まないのならデイケアや地域活動支援センター(地活)もありますが、「特に重い障害も何も(社会的に認められて)ないのに働かないでいる」ことを肯定的にみてくれる人などいるだろうか?という疑念を生じてしまった場合、そこでも安心感を得られないかと思います。
 実際、僕の通う地活では「若くて重度でない障害者は働け」という方針なので居心地が悪いです。

 

 ひきこもり当事者には「障害者手帳が持てない、障害年金が受けられないから支援制度を受けられない」という苦しみもありますが、手帳が持てたからといって安心できる居場所が得られるわけではないのです。

 

「障害者しかいない地域」ってなんなんだ

 そもそもが、障害者の世界というのはそれそのものがひきこもりなのです。
 何十年も精神科に入院させられたり、座敷牢に入れられることはなくなりましたが、それでも「世間とは隔離しなきゃならない人」だと認識されていることに変わりはありません。
 大規模な入所施設の代わりにグループホームがたくさん建てられたり、作業所が建てられたりしていますけど、そこには障害者とその支援者しかいません。

 地域とのつながりがどうと言いますが、実際のあなたは障害のある方とのつながりなんて感じたことありますでしょうか。
 むしろ「ひきこもっているけど自分は精神病『なんか』じゃない」「障害者『なんか』じゃない!あんなのと一緒にするな!」と思っていませんか?

 現実はそんなものです。
 自分の周りに障害者なんてまず見当たらないし、まさか自分自身が障害者になるなんて思いもしないのが普通であるはずです。

 

 僕は生まれつきの障害を長年見過ごされ、それによってひきこもってきた身ですが、障害があることを認められたからといって何か安心感を得られたわけではありません。
 むしろ「健常者ではない」という事実によって、障害者の世界に閉じ込められている気がしています。
 僕も障害者手帳をもらえた時は「あぁこれでひとりぼっちではなくなる」と思っていましたが、そのうち「閉じ込められる」感覚ばかりでひどく疎外感を覚えたため、病状は元に戻ってしまいました。


つながるためには障害者をやめなければならない

 「外に出てつながりたい」思いは、「この人は病気でおかしいから施設の中で支援しないと」という、支援者たちの善意によって阻まれます。
 それは、僕らにとっては絶望でしかありません。
 現状を考えると(本当に障害を持っていないのかどうかは別として)、自らのことを語るひきこもりたちが「自分は病気じゃない、病人扱いしないでくれ」とよく言うのも分かります。

 記事を書いておいて恐縮ではあるんだけど、結局ひきこもり当事者は「健常者でもなく障害者でもない」状態でないと救われることはないのだろうか、とも感じるのです。