あさのよみもの

Chromebookネタは新ブログにて。元々は「自閉症スペクトラムと性別違和」「LGBTとフェミニズム」の話をするとこでした

僕は「家族」という集団が嫌いだ

自閉症者はよく「人の心がない」「共感力がない」「他人のことを考えて行動できない」と言われている…気がする。
書籍でもよくそういう風に書かれているような気もします。
他の人からもよく「冷たい人だ」「扱いが難しい」「空気を読めないのか」と言われて嫌われます。
僕個人はただ、人生における損得勘定をやっているだけなのですが。

 

 

 

精神科の主治医に「人間は損得でモノを考える」と10年前に言われて以来そういう考えに行き着いたのだけど、家族という名の社会集団はとても損するような気がしてならないのです。
障害児ふたりのために自己犠牲をして精神障害になる母。
さらに、普段から乱暴な父のご機嫌取りもしなきゃいけない。
そうやって「自分を捨てて他人のために、自己犠牲の日々を送る」のが「家族としてやっていく」なのだとしたらとてもじゃないが耐えられない。

 

幼少期からずっと家族に、周りの人間に怯えて生きてきた僕は、大人になってからしばらくして気付いたのです。
「自分がどんな人間なのか、あまりにも空っぽで分からない」と。
大学受験で遅くまで難航したのも、就職活動がまともにできなかったのも、今までがあまりにも「自分のないからっぽの人生」だったから。
ひきこもり、うつ病がひどく希死念慮が毎日あった頃はずっと、親のことを責めていました。
あんたらのせいでこんなことになったんだと。
そのことは謝罪されたけど、当時は納得いきませんでした。

 

あれから10年でB型作業所に行くとか、実家を出て赤の他人と一緒に暮らすとかやっていくうちに、あれはダメだと思ったのです。
「自己犠牲」みたいな系統の優しさを強制される環境なんて。

特に、障害児を抱える親御さんは自らを投げ出して、病気になってまで親をやろうとしがちです。
うちもそういう家庭だったから余計に悪かったのだけど、それを抜きにしても集団生活は苦痛だ。
「みんな仲良しな家族」なんていう呪いなんて、と思ったものです。
一部の脳機能が欠損している人間に、「普通」「当たり前」の社会生活なんて無理です。

 

ちなみにここ1年半あまりは障害者向けグループホームに入所していますが、最初から今までとうとう馴染めていません。
「普通の人間」として必要なものが欠けているから、劣っているからかもしれません。
もっと、誰かとの結びつきを薄くできるような環境に引っ越せればいいのだけど、こういうことを言うとやっぱり「人の心を持ち合わせていない」と返されるのでしょう。