あさのよみもの

Chromebookネタは新ブログにて。元々は「自閉症スペクトラムと性別違和」「LGBTとフェミニズム」の話をするとこでした

「貧困で6畳」「月7万円で暮らす」は趣味も捨てなきゃならないのか

前に趣味の話を少ししてたのですけども。

 

ミニマリストと「貧困で6畳」はやっぱり違うと思った - あさのよみもの

 

最近「手帳、日記を書く」が趣味にならなくなりつつあるのは「実家には帰れないが6畳の部屋で暮らさなければならない」がいよいよ現実になってきたからかもしれません。

 

 


モノや思い出に執着しないミニマリストならこれでも別に楽かもしれません。
でも、貧しさでやむなく狭い部屋に住まなきゃならない、趣味やモノへの愛着があるのにそれらを捨てなきゃならないほどの狭い部屋である、は、健康的ではありません。

日記ノートも手帳もかさばります。
わざわざ万年筆を使うのもお金がかかりますし、インクが裏抜けしにくいノートは値が張ります。
プチプラ万年筆も5本揃えば2万円近いです。
その価格を大したことがないと思えるのならまだマシですがそうでもありません。

「やむなく」、ミニマルに「ならざるを得ない」、は人から生きる気力を奪います。
気力が奪われるとますます趣味がやれなくなります。
障害年金と作業所の工賃、貯金を足して月9万円で生活する、たまにパソコン代やスマホ代、洋服代などで出費があるにしてもトータル換算で月平均10万円で暮らす、となるとそういう精神状態になってくるのです。
自分はごはんの質を下げるのは割と平気で、今でも生活保護受給者レベルの自炊ならやるし、アニメ系のオタクを辞めても平気だったのだけど、洋服はまだ欲しいと思ってしまうしPCも快適さを求めて6万円はお金をかける。
まだ贅沢なんですよ。
問題なく生活するには本来貯金を崩すことなく月7万円で生活費を収めなきゃならないのですが。
これ以上何を削るって、やっぱりもっと趣味関係のお金を削るしかない。
食費も通信費ももう削れないし、医療費もバカにならないけど病院行かなきゃなりませんから。
でも1食250円計算もまだ贅沢かもしれないし、婦人科に通うのも、好きなテイストの私服を買うのも贅沢かもしれない、とも思うのです。
グループホームの職員からは1食170円でなんとかしろとか言われます。
他の利用者の中には、服や雑貨を誰かからもらって暮らしている人も普通にいます。
一方で、自分の場合貯金が中途半端に残っているので生活保護は受けられません。
これなら素直に貯金使い果たして生活保護を受けた方がまだ、人間らしい暮らしができるような気がします。
貯蓄も何もなしで月7万円は、生活の様子を聞く限りだとあまりにも人生を潰している、ただ生きているだけ、のような感じがします。