傾聴すりゃあとりあえず利用者は満足するだろうという、仕事を舐めてかかっている専門職の人らは本当にいるものです。
ただ、みんなが揃ってそのような怠慢を働くというわけでもなく、制度上そうならざるを得ない面もあるかとは思います。
障害者が福祉サービスを利用するまでの、申請の時点でもとても大変なのですが、申請が通ってからも困難が生じます。
僕にとっての訪問看護って「ただの傾聴相手」みたいなやつではなく、
— あさの/朝乃みちる (@sugapiyo) 2025年3月3日
もっと具体的な課題や解決策が出るまで話できないとダメなタイプなので、
福祉界隈の人間がよく「話すだけでも楽になるでしょう?」と勝手に言ってくるのが嫌いです。
傾聴目的ならわざわざカネ払わないよ。
ただしこれは、「相談する時もコミュニケーション能力が問われる」ことでもある。
— あさの/朝乃みちる (@sugapiyo) 2025年3月3日
これは特に発達障害あると難しい。
他力本願であまりにぼんやりしてると、それこそ「話すれば楽になるんですね〜」と勝手に言われてフワフワしたままカネ払わされることになる。
福祉の人って正直言って「傾聴役になって本来必要な業務から逃げる」節あるので、
— あさの/朝乃みちる (@sugapiyo) 2025年3月3日
福祉サービスを使い倒すにはこちらはかなりの負担をかけて病状の言語化などをやらねばならない。
障害特性の偏り次第では30分の訪問看護で疲れてどうしようもなくなるか、課題の洗い出しができずに不満が残るだろう
そうですか、
— あさの/朝乃みちる (@sugapiyo) 2025年3月3日
その「話せば楽に……」の「話し方」にも本来は要領があるのが難しいんですよ。
ただ悩みを喋っておしまいでは目の前の悩み何も変わらないじゃん、
って思うんですよね。
相談先は「ただあればいい」わけではないのです。
「訪問看護は役立たず」と言う層は一定数いる。
— あさの/朝乃みちる (@sugapiyo) 2025年3月3日
薬くれるわけでもなければ収入増やしてくれるわけでもないんだからそれはある意味合ってるだろう。
そりゃ、訪問看護のサービスを30分かけて「使い倒す」能力は個々によって明らかに差があって、
かつ誰もその能力を上げる方法を教えてはくれない https://t.co/NmTSzTrqDE
それは、限られた時間とお金で「福祉サービスを使い倒す」こと。
訪問看護ひとつとってもそうです。
ただぼんやりとしていてはもったいないというか、あまり得をしません。
コミュニケーションの障害が明確で、それで療育手帳などもらっているレベルの方でしたら「病状の言語化」等する時に誰かの支援は入るのですが、軽度の障害だとみなされている場合は自力で「福祉サービスを使い倒す」スキルを習得しなければなりません。
「福祉があるならそれに頼ればいい」の、「頼る」は「何でも他力本願で、何となく過ごす」ことではありません。
「支援者とともに現状を自覚した上で、課題があれば解決策を図る」ことです。
しかしながら現状は、「相談先があるのに当事者は助からなかった」がしばしば起こるのは何故でしょう。
その相談スキル、課題の可視化のスキルを身につけることを利用者ばかりに強いるシステムや、専門職の人たちの甘い認識に関してはいいものだとは思っていません。
そりゃ無理なことさせるなぁとばかり感じます。
グループホーム変更ビフォーアフター
— あさの/朝乃みちる (@sugapiyo) 2025年3月3日
「7人ワンオペ夜勤あり」からの「15人ほぼワンオペ夜勤なし」施設になってしまい「利用者さんは自立度の高い方を受け入れていますので」と都合よくかわされてしまう。
その方がお前らの業務が楽になって儲かるからっつーだけだろが!!俺は分かるぞ!!(??
まぁでも転居前のグループホーム、書類上は「軽度の障害者」とされているのにその利用者たちがいちいちしょうもないことで嫌がらせしたり、備品を勝手に持ち出したり、他の利用者や職員と喧嘩になったりしてたから、
— あさの/朝乃みちる (@sugapiyo) 2025年3月3日
施設側が利用者を選り好みしたところで揉めるとこは揉めるんだよ。
おまけですがこういう理由でうちは訪問看護を利用しなきゃならなくなりました。
正直、今の暮らしは「ベスト」どころか「ベター」ですらありませんという話も。