あさのよみもの

Chromebookネタは新ブログにて。元々は「自閉症スペクトラムと性別違和」「LGBTとフェミニズム」の話をするとこでした

支援者は「とりあえず傾聴」してればいいのか?と、「障害者が福祉を使い倒す」難しさ

傾聴すりゃあとりあえず利用者は満足するだろうという、仕事を舐めてかかっている専門職の人らは本当にいるものです。
ただ、みんなが揃ってそのような怠慢を働くというわけでもなく、制度上そうならざるを得ない面もあるかとは思います。

 

 


障害者が福祉サービスを利用するまでの、申請の時点でもとても大変なのですが、申請が通ってからも困難が生じます。

 

 

 

 

 

 

 

それは、限られた時間とお金で「福祉サービスを使い倒す」こと。
訪問看護ひとつとってもそうです。
ただぼんやりとしていてはもったいないというか、あまり得をしません。
コミュニケーションの障害が明確で、それで療育手帳などもらっているレベルの方でしたら「病状の言語化」等する時に誰かの支援は入るのですが、軽度の障害だとみなされている場合は自力で「福祉サービスを使い倒す」スキルを習得しなければなりません。
「福祉があるならそれに頼ればいい」の、「頼る」は「何でも他力本願で、何となく過ごす」ことではありません。
「支援者とともに現状を自覚した上で、課題があれば解決策を図る」ことです。

 

しかしながら現状は、「相談先があるのに当事者は助からなかった」がしばしば起こるのは何故でしょう。

 

その相談スキル、課題の可視化のスキルを身につけることを利用者ばかりに強いるシステムや、専門職の人たちの甘い認識に関してはいいものだとは思っていません。
そりゃ無理なことさせるなぁとばかり感じます。

 

 

 

おまけですがこういう理由でうちは訪問看護を利用しなきゃならなくなりました。
正直、今の暮らしは「ベスト」どころか「ベター」ですらありませんという話も。

 

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