これ呟いたのちに思った。
「誰かの持ってる夢のためにケツ叩きをする」役割を時々勝手にやってるんだけど、
— あさの/朝乃みちる (@sugapiyo) 2025年4月8日
それは本人にとって余計なお世話じゃなかろうかとも、ふと考えてしまう。
始まりはこっちが勝手にやりだすケツ叩きなのだから。
それで「君の約束って、夢の力ってその程度?」と勝手に思ってしまうのは良くないよね
でも思い出すんだ、小さな企業のクラファン参加した時のとか。
— あさの/朝乃みちる (@sugapiyo) 2025年4月8日
あれの場合はクラファンで夢を語りだしたのは向こうじゃんね。
現状がガタガタで失望したのを覚えている。
で、実は欲しいのは「ケツ叩きへのお礼」じゃなくて「夢に向かって行動しているあなたの姿」なんだよね、と今なら言うかもね。
そういや自分、大人になってからは「夢ややりたいことについてやろうとして人からケツを叩かれる」のが別に、苦ではなかったんですよ。
たとえばAmazon経由で食べ物送ってくれる方とかいらしてるんだけど、それに対して素直に、よし元気になってまた本書こうとか、ブログ更新やろうとか思ってたわけなんですよ。
それはストイックなわけではなくて、自発的にやろうとしてることへの努力に苦労が伴わなかっただけ、自分で選んだことだからと納得してやっていただけなんです。
でも、脳の報酬系が極度に鈍っている系統の人にとってはどうなんだろうかとも思うのです。
こちらが想定しているよりもずっと、やりたいことをやるため、夢を叶えるためのハードルを下げる工夫が必要になってくる。
そうしないと趣味の活動ですら「苦痛なタスクの集合体」になってしまうんだというのを、複数の方とやり取りしてきて感じたものです。
でも、趣味が苦痛ならやめればいいだけの話、じゃあやめればとこちらで言えばいいだけです。
だって趣味なんだから。
問題は、人生に関わることというか、ライフワーク的なものを相手にする場合どうするかです。
やりたくない仕事だったらまぁ、こっちが勝手にケツ叩きやっててもそのうち「あーこの人仕事うまくねぇなぁ」と思って熱が冷めてきますから意外と問題ではないのです。
とはいえ、結局は勝手にケツ叩きやってないで時々、本人の本気度を伺うのが大事なのでしょうね。
だってその夢は「その人の」夢、やりたいことなんだもの。
もう応援いらんです、と本人が言うならきっぱり手を引くしかないのです。
人間は頑張れ頑張れと言われたところで、できる範囲内のことしかできないのです。
今回やってみたのが、
— あさの/朝乃みちる (@sugapiyo) 2025年4月8日
フェイスタオル、
コルクコースター、
懐かしの棒のやつ(ホテルキー)、
メモパッド、
ボールペンです。
サイト仕様がやや微妙な気はしますが商品どうなるかはまだわからんです。
納期は早い。価格帯もこわい。
実はわけあって、アクキーみたいなオタグッズは別に作らなくていい方向性だったりします。
— あさの/朝乃みちる (@sugapiyo) 2025年4月8日
もっと実用性を出さないと僕の考えとはズレる。
カバンやポーチ発注するのも本当はアリなのですが…
売れるかこわいのとまず、出来上がりがこわいよね…
ほにゃ、試作品の絵はおまいだ!がんばりゃー! https://t.co/0xsHSetsqv pic.twitter.com/JXfuiV8LY2
でもそもそも、「すたじおちきん」をもっと積極的にやっていくのなら本出せよっつー話にはなってしまうだろうか。
— あさの/朝乃みちる (@sugapiyo) 2025年4月8日
なら、今は本は出せない。
発達障害コミュとの合わせ技、「マスコットとしてのほにゃ」も今ちょっと考えたが、田舎は個人情報漏れるからオンラインでないとやりづらくてなぁ。
「可愛くてゆるいがシュールなキャラクター」は、商業でも見ての通りパワーがある。
— あさの/朝乃みちる (@sugapiyo) 2025年4月8日
あの力を借りて、やりたいことをやってみるのはどうだろうと考える。
それがたまたま自分の描いたやつか、他の方のをお借りしたかの違いはあるけど。
さて、ひるがえって自分は……どこまで行けるだろうか。