恩師から手書きの手紙を受け取って以来ずっと考えてることなのですが。
人生バリバリやれてなくて不眠か過眠のどっちかでぶっ飛んでいるので俺はムリ層だと思うよ…
— あさの/朝乃みちる (@sugapiyo) 2025年4月8日
だって願いが「ただのあさのになりたい」だもんね。
ウィッシュリストでピラミッドを作ったら、その頂点になるのがこの願いなんだと思うのです。
まぁこの辺の苦しい話は本にもしましたし、ブログ記事にもしましたけど。
ただそこにいる、レッテルから外れたただのあさのがいる状態でありたい、は、過去をさかのぼるとnoteにも書いてたはずです。
そりゃ診断を受けないと、社会的に障害者として認められないと受けられない支援は多々あるので「方便としての診断名、障害」はあります。
でもそこにあまりにとらわれていると、人の作った「貧困が当たり前の障害者として生きるレール」にしか乗っかれないのです。
乗っかることで病状が安定する人もいます、でも、自分はきっとどこか窮屈で苦しい思いをするのです。
苦しさが一時的に紛れる趣味のことにしても、結局は病状の悪さ、体調が不安定なことによる収入のなさによって打ちのめされます。
推し活みたいなやつなんてまさしくそれです。
本当は今も万年筆や万年筆インク、マステも好きですが、ハマると生活費がまかなえなくなるので趣味として使うのをやめているところです。
結局お金なんだな、という苦しみ。
さて、どうやったらその苦しみをなんとかできるだろう。
短期的には貯金を一瞬で使い果たすくらい、趣味に没頭していればいいだけの話です。
でもそれは本当に一瞬で、幸せな人生なのかと言われるとやっぱり違って「ヤケクソ」な気がします。
遠い目標、いや、それはむしろ目的にしか過ぎないだろうけど、自分にできることをすべてやってお金を稼ぐしかないのでしょうね。
節約は度を越すと、本当に心身がダメになってしまいますね。
さて、問題は……報酬系がまるっきりダメな脳みそをどうするかという話にはなりますが……
結局求められるのってタスクの細分化と取捨選択ではあるんですよね。
要するにどこまでハードルを下げられるかが勝負なんです。
楽をする、余計なことはやらない。
これに尽きる。