あさのよみもの

Chromebookネタは新ブログにて。元々は「自閉症スペクトラムと性別違和」「LGBTとフェミニズム」の話をするとこでした

「手帳術の負の力」について

「自分を見つめる」が過剰になってはいけない理由の話です。

『旅と文具のものがたり』、そして別のZINEとして書いた『発達障害、手帳と暮らす。』でも言及した話なのですが、精神障害で病状が悪い時に手帳術を活用するというのは実はあまりおすすめしていません。

 

sugapiyo.booth.pm

 

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発達障害、あるいは精神障害のいずれか(いずれも、というケースもある)を持っている方がネガティブな感情を書くのは、それそのものが悪いわけではありません。
「書く瞑想」とも呼ばれるジャーナリング、朝のうちに思考を吐き出すためのモーニングページも、ある程度病状が安定しているならやってもかまわないと思っています。

しかし、フラッシュバックが起きやすいとか、あるいは脳内での多動が起こりやすい、反芻(要するに「ぐるぐる」)思考に陥っている時に手帳や日記を書くのは、療養するという意味で考えると難易度がとても高くなります。

 

何も書けないなら書けなくて別にいいのです。
本当は精神科でもらってきた薬を飲んで寝る方がいいのです。

 

その上で必要なのは、カウンセリングなどのトラウマケアである場合も少なからずあります。
というのも、発達障害精神障害の併発となると、うつ病双極性障害の他に「複雑性PTSD」のことも視野に入れなくてはなりません。
複雑性PTSDにかかっていながらも診断がおりていなくて、適切な治療を受けられないでいる当事者もいます。

手帳や日記を書くのはマインドフルネス、それこそ瞑想寄りのことなので、「書けないはずなのに書けてしまう」ならそれはそれで病状が悪いことも考えられます。
「自分を見つめる」も過剰になってしまう、ネガティブさも極端になってしまうのならそれはつまり、今の自分の心身が安定していないというわけです。
本来ならばよりフラットな思考が求められるであろう、手帳や日記を書くという作業とは違います。

虐待やいじめ、ハラスメントで傷つき、ひどく疲れている脳を休めるには手帳術は向きません。

認知行動療法でよく言われる「認知の偏り」が著しく、安全ではない環境の中で何かを書くのはその偏りの強化をするだけになる可能性もあります。
それくらい、手帳はその極端さを強めてしまう力を持っています。
結果として、つらい感情をずっと書き続ける、フラッシュバックで苦しめられるのです。

 

もしどうしても書きたい、気持ちを吐き出したいのであれば、書いた中身に関しては読み返さないようにするといいのではないかと思っています。
あるいは精神科の通院用にメモとして要約して、元々書き連ねていた分はすぐに捨ててしまった方がいいです。

書く時に使うものとして、厚いノートやリング綴じノートでは不向きです。
ひと月ほどで使い切れるB6サイズくらいの薄手の綴じノートか、ルーズリーフ、システム手帳のリフィルでやった方が捨てやすくなります。
書き連ねるためのノートや手帳は、最初からもう「丸ごと捨てるのを前提」としてしまうのです。