某界隈、というか趣味関係のつながりの暗黙のルールみたいなのある気がして、それが「その人の深いところまでは突っ込まない」のような気がする。
— あさの (@sugapiyo) 2023年6月5日
その人の立場や今までの人生がどうであれ、ただ純粋に「その趣味の人」であることを認めて一緒に遊ぶっていうの。
オタク系趣味だと意外とこれできない。
性別違和のこととか他の障害のこととか、それこそ希死念慮の話もしている無職のほぼ中年なんだけど、遊んでいる時はただの人になる。
— あさの (@sugapiyo) 2023年6月5日
周りの人、もしかしてこちらに対してどこか配慮してるんだろうなぁとかそういうのは感じている。
でもそれはあからさまでなく、うちらはただ一緒に遊ぶ。
この、「ひとりのただの人」でいられる時間、アイデンティティをまるっと放り投げる時間が本当はもっと欲しいのかもしれない。
— あさの (@sugapiyo) 2023年6月5日
でも現実がすぐそこにあって、その願いは阻まれる。
それでも、彼らと一緒に遊んでいく、付き合っていくことをやめたらそれこそつらいだろうとは思う。
インク沼にしてもChromebookにしても、自分の性別違和とか、発達障害とか、無職であることの苦しみを全部一旦どこかに置いていきたいのだと思うのです。
そうすることで、そこらへんの人、ひとりの人間、として生きていく時間が、ほんの少しでも欲しかったのです。
でも、そうしていられるのは「ほんの少し」です。
また明日から、わずかな工賃なんぞ小遣いにもならねぇよと思いながら作業所に行くわけです。
生きていくしかないのですよ。