僕は時折「才能のない、仕事をこなす能力のない健常者」の話をします。
能力のある障害者は年金もらいながらでも会社な雇用されるけど、
— あさの (@sugapiyo) 2023年6月28日
無能な健常者は障害年金も何も貰えないし雇用もされないから生活保護に行き着くよね
人によっては診断書書いてもらって障害者になるって手もあるよ。
— あさの (@sugapiyo) 2023年6月28日
うつ「状態」なのをうつ「病」にしてもらうとか。
でもそこそこ元気なのに無能なら給料もへったくれもないんだよ。
それが世の中だよ。
福祉に救われることのなかった、会社にも雇用されなかった人たちが行きつく先のひとつが日雇いバイトなんだけど、
— あさの (@sugapiyo) 2023年6月28日
そこの話聞いたら本当に障害者よりも救われてなくてどうしようもないんだなって思ったよね。
本人の状態がどうであれ診断がつかなければ、社会的には、ただの無能な健常者だからね
障害者雇用や年金で救われている大勢の障害者のその裏で、福祉にも雇用にも見放された「社会的な意味での健常者」はどうやって生きているのだろうと考えているのです。
で、話を聞いてみたり書籍を読むと、やれホームレスだとか、中高年ひきこもりだとか、あるいはツイートした日雇いバイト、だったりする。
どうしてそういう彼らに関心が向くかというと、自分自身も四半世紀以上、そうやって「何にも救われなかった健常者」として生きてきたからです。
その事実は消えないからどうしても他の、障害当事者とはどこか相容れないでいるのです。
じゃあ、実際に会社にも行けず障害者手帳もないというと、自分の場合は長期ひきこもりになっていました。
20代としての人生のほとんどは失いました。
ゲームとアニメで現実逃避していないと、死ぬことしか考えられなくなりました。
精神科ではうつ病と診断されるほどのレベルではなく、のちに障害年金のさかのぼり申請もやりましたがそれは落ちました。
でも、自分の場合は結果的に障害の診断がおりたからまだいいのです。
おりなかった、障害者手帳がもらえなかった、他のたくさんの人たちの「仕事ができない」「学校に行けない」などの苦しみは、単なる努力不足として片付けられてしまうのでしょうか。
ただ「個人の生きづらさ」として矮小化されて、生活保護ぐらいしか頼れる制度もないのでしょうか。
「社会的な意味での障害者」って、ある意味では幸せな立場だとすら思うのはおかしいのでしょうか。