あさのよみもの

Chromebookネタは新ブログにて。元々は「自閉症スペクトラムと性別違和」「LGBTとフェミニズム」の話をするとこでした

「ただの無能な健常者」は誰も、何も救ってくれない

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 僕は時折「才能のない、仕事をこなす能力のない健常者」の話をします。

 

 

 

 

 

 

 障害者雇用や年金で救われている大勢の障害者のその裏で、福祉にも雇用にも見放された「社会的な意味での健常者」はどうやって生きているのだろうと考えているのです。
 で、話を聞いてみたり書籍を読むと、やれホームレスだとか、中高年ひきこもりだとか、あるいはツイートした日雇いバイト、だったりする。
 どうしてそういう彼らに関心が向くかというと、自分自身も四半世紀以上、そうやって「何にも救われなかった健常者」として生きてきたからです。
 その事実は消えないからどうしても他の、障害当事者とはどこか相容れないでいるのです。

 じゃあ、実際に会社にも行けず障害者手帳もないというと、自分の場合は長期ひきこもりになっていました。
 20代としての人生のほとんどは失いました。
 ゲームとアニメで現実逃避していないと、死ぬことしか考えられなくなりました。
 精神科ではうつ病と診断されるほどのレベルではなく、のちに障害年金のさかのぼり申請もやりましたがそれは落ちました。
 でも、自分の場合は結果的に障害の診断がおりたからまだいいのです。
 おりなかった、障害者手帳がもらえなかった、他のたくさんの人たちの「仕事ができない」「学校に行けない」などの苦しみは、単なる努力不足として片付けられてしまうのでしょうか。
 ただ「個人の生きづらさ」として矮小化されて、生活保護ぐらいしか頼れる制度もないのでしょうか。

 「社会的な意味での障害者」って、ある意味では幸せな立場だとすら思うのはおかしいのでしょうか。