こないだ「認知行動療法について疑念がある」話を書いてたのだけど、こうやって疑いの目を向けているうちは支援者との信頼関係はないに等しいので、まぁ今の自分がやるべき治療法ではないのかなって気はします。
認知行動療法、発達障害に効くのかという深い疑い - あさのよみもの
何故なら「自分ではどうにもできないこと」があまりにも多すぎる場合、あまりにもそのどうにもできないことで打ちのめされている場合、思考がどうとか言ってもあまり意味がないと思っているからです。
信頼できない支援者は「さん付け」できない - あさのよみもの
認知行動療法への疑念を晴らすべく、第一人者といわれる人の本を読む。
— あさの (@sugapiyo) 2024年3月2日
読むが……ぶっちゃけ、こんなんちゃんとやってくれるカウンセラーなんざおらんだろ。
どうせあの界隈の人間って「あーほら自動思考!」とか言って患者を責めることしかできんだろっつー不信感しかないんだけど
精神科医だってそうだよ、あれはもう「自分の望む通りに薬と診断書を出してくれる人」程度の信頼感しか持てない。
— あさの (@sugapiyo) 2024年3月2日
希死念慮のことも性別違和のことも相談なんてできない。
してもお花畑な言葉しか返ってこないから。
そのクセして病気で苦しんでることについては正論で殴りかかってくるんだよね。
その「正論で殴る」がなければ「あなたはそのままでいいんだよ」って現実逃避させる精神科医しか出てこないからあまりに両極端なんだよね。
— あさの (@sugapiyo) 2024年3月2日
現実見ろよっつーか。
もうそれくらい信頼感ダダ落ちなのに受診しなきゃならないし、他の選択肢がほぼないのって、病状良くならないから本当はダメだよね。
というか、実際自分の身に起こっていることを解決させるには、心理士とか精神科医界隈の、患者の置かれてる環境を知らないようなお花畑な人間じゃどうにもならないんだよね。
— あさの (@sugapiyo) 2024年3月2日
現場のことをよく見て体験してる、計画相談の支援員とかそっちの方が相談先になるので今度も面談をやる。 https://t.co/MeCOfaXafX
精神療法がどうとかその前にまず環境調整をやらないと病状が悪化する一方で、
— あさの (@sugapiyo) 2024年3月2日
毎日希死念慮抱えるしかなくなる。
自分の心がどうとかの話じゃないっていうか。
それこそ、障害者向けグループホームの職員から嫌なことをされているのに、そんな環境我慢できるわけねぇだろっていうのとか。
精神障害、発達障害抱えてる患者にとって実は最優先してやらなきゃならないのって、
— あさの (@sugapiyo) 2024年3月2日
環境調整じゃないかとすら思っている。
でも医療関係だとその認識が薄い気がして、
それで自己責任論じみたことになってたり、問題の矮小化が起こってたりするのかなって不信感につながってるんだよね。
患者である自分の、社会に適応できなくなるほどの認知の歪みを引き起こしている元凶とか、スキーマができていった背景を考えると、じゃあその認知の歪みに向き合えばいいんだねっていう話じゃなくなってくるっていうか。
「悲観的になっているのは単なる病気の症状」とみなされることに対して「それはあなたそのものが悪いわけじゃない」にしたって、あまりにも抵抗感が強いし、疑いの気持ちしか生まれないんですよ。
とはいえ、障害に関する配慮を受けるにも限界があるでしょうし、お互いどこまで歩み寄れるのか話し合いをしていくしかないのかな、そうやって地道に環境調整をやっていくしかないのかな、とも感じます。
正直言ってむちゃくちゃめんどくさいことをしなきゃなりません。